慰霊碑・資料について

ここ宮崎の赤江飛行場は宮崎海軍航空隊(宮崎基地)として、南九州における本土防衛の重要な戦略的基地であった。宮崎基地では、海軍航空隊神風特別攻撃隊を主体としていたが、陸軍の特攻機も在籍部隊として発進していった。とくに陸軍機には海軍の予備学生出身者が、航法士・機長として搭乗し、陸海軍共同の特攻隊が編成されている。

宮崎基地から発進した特攻隊員は全国各都道府県出身者で占め、途中殉職者を含めて385柱の英霊を祀る。併せて宮崎県出身者で宮崎基地以外の基地から発進した特攻隊員または、訓練中の殉職者、戦傷病死者を含めた陸海軍航空機搭乗員414柱を祀り、合計799柱の英霊を合祀している。

戦後35年を経た昭和55年、ゆかりの旧陸海軍航空機搭乗員で組織する各戦友会が発議し、宮崎特攻基地慰霊碑建立期成同盟会を結成した。昭和58年3月、宮崎空港西端に『鎮魂』の碑が除幕され、平成10年には752柱の慕銘碑(現在799柱)も完成した。

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